日野市議会 2022-10-28 令和4年第1回臨時会(第3日) 本文 開催日: 2022-10-28
それを基に下された判断は厳粛に受け止め、法を守っていく、これが法治国家です。日野市及び議決してきた日野市議会は、この判決を重く受け止めなければなりません。私も議案に賛成をしてきた一議員として深く反省をいたしております。 一方で、住民訴訟の、いわゆる4号訴訟においては、その制度や議会への権利放棄議決をめぐって様々な議論がなされてきました。
それを基に下された判断は厳粛に受け止め、法を守っていく、これが法治国家です。日野市及び議決してきた日野市議会は、この判決を重く受け止めなければなりません。私も議案に賛成をしてきた一議員として深く反省をいたしております。 一方で、住民訴訟の、いわゆる4号訴訟においては、その制度や議会への権利放棄議決をめぐって様々な議論がなされてきました。
法治国家である我が国で、一審、そして二審ともに敗訴、そして最高裁では不受理となり、信頼はさらに失墜したものと考えます。市長は、御自身の責任として、全容解明と、原告団、そして市民の皆さんへ説明責任を果たすことが必要だと思います。また、出処進退も含めた今後について明らかにすべきだと考えます。 最後に、市長御本人からお考えをいただきたいと思います。
信教の自由と遠慮する前に、法治国家として毅然とした対応を取っていたなら、犯人を捕まえることができたかもしれません。そうしましたら、後年、オウム真理教事件など起きなかったかもしれません。そして、教団が推薦するからなどでなく、自立した国民が自らの判断で政治に参画する、より成熟した民主主義社会になっていたのではないかというふうに思います。 このようなことから、この意見書への賛成討論とします。
まず、「安倍元首相が国葬となるのは、憲法、法治国家としての枠組みや民主主義の在り方を破壊する暴挙と指摘せざるを得ない。費用については規模を明かさず、国会での審議もない。各国要人の訪日は国葬の理由とならず、戦後最長の在任期間、政治的功績と安倍政権を美化する動きも見過ごせない。また、国葬の強行は、旧統一教会と自民党の癒着関係を免罪することにもなる。
お友達の言いなりで区民の血税を右から左へ流していくとなれば、法治国家ではあり得ない公私混同と言わざるを得ず、これはモリカケ問題と同じ汚職疑惑にほかなりません。 それにもかかわらず、長谷部区長は、言い逃れを続けるだけで謝罪も反省もされておられないようであります。
つまり、市長は法に、治外法権ではなく、法治国家の日野市議会が、市議会議員が、いいですか、日野市長は、法に定められてた事項のほか、治外法権じゃない、ね。必要があると認める事項については、審議会に諮問してその意見を、審議会というのは一番重要なのに、これ、とんでもないことじゃないでしょうか、ということで、これについては、私はもう30年前から疑問に思っていた。
何となく、いつ始まって、どんな基準で、どんな状況なのかも分からない中で始まり、どういうふうに終わるのかも明確に法律に記されていない中で、今、大田区の皆さんは、こういう基準で考えているとおっしゃっているのですけど、私が最近すごく実感するのは、当たり前のことなのですけど、日本は法治国家なのだなと。
その後の日本は、御存じのとおり、高度経済成長期を経てからオイルショック、そしてバブル経済やリーマンショックなど景気の乱高下を繰り返したものの、国民の命が脅かされるような戦争やクーデターなどとは縁遠く、また法治国家の下、国民皆保険などの社会保障制度をはじめとする社会的インフラが整備され、いつしか世界有数の経済大国へと発展することができました。
私たちの平穏な日常は、法治国家として警察が果たす役割は大きなものであることは確かです。しかし、一方、日常から遠い刑事事件について私たちは十分に知っていません。このことについて、長年、冤罪問題について活躍された今村核弁護士さんの著書を見ました。「冤罪と裁判」という新書版が出ております。日本の刑事裁判は世の中の水準から見るといろいろ遅れているところがある。
ところが、戦後、今の憲法の下で、基本的な法治国家として、基本的人権、そしていわゆる市民的自由、その中には政治的な表現の自由というものも当然に含まれるんです。それは当然、市民である限り、誰を応援していますということを言うも言わないも、その人の人権ですよ、その人の自由なんですよ。
仲よしが、今、会議しているわけではなくて、日本の法治国家という中の、やはり地方自治の二元代表の一つの議会の委員として公式に設置された委員会の中で、この防災について話し合いをしています。この記録については、しっかりと冊子になって保存されていくので、10年たっても、20年たっても残ります。
お酒飲んでとんでもない、パチンコなんてとんでもないとか、好きな人と嫌いな人でいろいろ違いますけれども、そこを法で規制しながらお互いのルールの中でやっていこうというのが法治国家だとすると、たばこについても、単にこういう喫煙所ができてよかったねというだけではない視点が必要な時代になったのかなと、これも私の考えとしてお話しさせていただきました。
法的根拠が疑わしい強権的行為が国民に何の説明もなく繰り返されるならば、この国は法治国家と言えなくなるのではないでしょうか。 また、首相の任命拒否が学問の自由に重大な影響を及ぼし、任命拒否された教授や指導されている学生に誹謗中傷が向けられています。
日本は法治国家なのだから、法にのっとり、やり逃げ、やり得を許さず、守るべきことは守る、真面目に生きている人が報われる、そんな世の中にしなければならないと考えます。地域住民にとっては大変迷惑な本事案を、区として当事者意識をしっかり持ち対処すべきであるが、工藤副区長の心の澄んだ爽やかな答弁を求めます。
政権の都合でゆがめることは、法治国家として許されないものです。前代未聞の学術会議人事介入、任命拒否について、市長の所見をお答えください。 10月の昭島市長選挙において、市長は、「今回のテーマは間違った選択をしないことだ」と強調され、市民の皆さんに訴えられました。そもそも間違った選択とは何を指しているのでしょうか。市民の選択に間違いがあるということなのでしょうか。
221 ◯村崎啓二委員長 これ、最後にいたしますけれども、自己救済というのは認められていません、法治国家においては。要するに、基本的に人を裁けるのは司法権であるということです。
216 ◯副市長(井上雅彦) 馳平議員はマナーの問題ではないとおっしゃっておりますけれども、私どもも答えの中では、これはルールですから、当然、ルールを守るのは法治国家の中では当然でございますので、マナーの問題にしているわけでございません。
基本的には,日本でこの法治国家の中で____を決められるのは最高裁判所の長官しかありませんので,司法の判断というのは,そういうものに関して,そうした議員の方のそう取られかねないような話というのは,「まずいのではないかな,三宅さん」と先ほど言われたのです,ある方から。
法治国家において秩序を守るのは法令で、規制緩和で法令を廃止してきたのですから当然だと思います。自己責任、弱肉強食は、私たちの人権を守ってきた法の支配が規制緩和で失われたことによるのだと思います。法による秩序の維持が難しくなったとき、人による支配や全体主義に陥ることを危惧します。 多くの新規事業の使途を見ると、その主だった事業のほとんどが土木建設費に使われています。
(「そうだ」と呼ぶ者あり)そんなことしたら、この法治国家として、地方公共団体として、示しがつかないじゃないですか。(「そうだ」「そうだ」と呼ぶ者あり)だから、責任の取り方を示してくださいと、本会議でも言った。そして、この決算審査でも、もう一度改めて最後に聞いているんですから、示していただきたいですよ。政治家として、地方公共団体の長として。